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   八重原小唄・音唄の里 ♫

  • 執筆者の写真: 白倉直樹
    白倉直樹
  • 2024年3月26日
  • 読了時間: 1分

 

 八重原の里は、戦後間もない頃、戦地から帰って来た人や軍需工場そして満州などから引き揚げて来た若者が大勢いました。


 その若者達の青年活動の一つとして素人演芸会が盛んに行われていて、小唄や音頭を自分達で作詞・作曲して演芸会で唄ったり、農作業の合間や用水普請などの共同作業の時に、酒を酌み交わしながら唄われて来ました。


 作詞は、小唄が芝間の依田泰徳さん、音頭は山根の荒井光之助さん、、当時NHK交響楽団に所属していた叔父の白倉四十四が作曲をしています。


 音頭・小唄とも、八重原から望める蓼科山や浅間山を詞にいれて八重原の風景を表現すると共に、蓼科山から流れてくる水の恵みによる「田植後の青田の素晴らしさと楽しさ」、そして「実る稲穂の喜びや感謝」を唄い込むと伴に、養蚕に汗ながしていた乙女の頼もしさなど、老若男女一体となって村作りをしていた心意気が唄われていて、今でも何処かから聞こえてくるようです。♫♫

  





 
 
 

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