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白倉城(麻場城・仁井屋城)及び周辺の考察
1. 白倉城 麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城である。この地の豪族白倉 氏の居城であり、約500m東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれている。 そして別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態といわれている。 白倉城周辺 城主の白倉氏は、鎌倉期から江戸期前まで当地に拠した豪族であり、1,221年に築城された。室町期には、関東管領山内上杉氏に仕え上州八家(小幡・白倉・安中・倉賀野・桐生・由良・山上・ 沼田)の一家で、上杉氏の重鎮として四宿老(長尾・大石・小幡・ 白倉)を務めていた。 2. 麻場城 大手門(追手門)側から城の入口 現在は両側農地となった約200m位の直線の農道となっている。奥側が城の虎口にあたる。 城の想像図(公園入口に設置されている) 二の丸
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2025年11月27日読了時間: 4分


白倉氏の興り(児玉党白倉氏)
白倉氏について、児玉党の西上野への侵攻過程(勢力拡大)から考察した。 児玉氏 児玉氏は、 平安時代中期の公卿 藤原北家流・藤原伊周の家司だった有道惟能が鎌倉期前武蔵野 国に下向し、その子惟行が神流川の中流基部にあった阿久原牧を管理住したのが祖で 子孫が多く 児玉党※1 を名乗り武士団を結成して 武蔵国北端(埼玉県本庄市・児玉郡)を中心に拠点を置いていた。 秩父氏 秩父氏 は、鎮守府将軍・平良文の孫 で桓 武天皇六世の平将門を祖とする一族、秩父 郡中村郷に居住し秩父氏を名乗り、子武基部が秩父牧を支配する別当となり吉田郷に館を構え、重綱の代には武蔵野国留守所総検校職に就任し大王と呼ばれ た。重綱の子たちは、畠山氏、河越氏、高 が秩父牧を支配する別当となり吉田郷に館
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2025年7月11日読了時間: 3分


白倉(しらくら)氏について
上野国白倉(群馬県甘楽郡甘楽町白倉)の豪族であった白倉氏の城、麻場城と仁井屋城の二城からなり、麻場城は首部の本城であり、仁井屋城は尾に当たる支城である。双頭の蛇構えとなっている。 (左図は、城跡に甘楽町により設置されている白倉城案内図) (右図 左側が麻場城、右側が仁井屋城) 城の南側、白倉川(小野瀬川)に接している場所に、「一丁屋敷」と呼ばれていた住居としていた屋敷跡がある。その敷地の古井戸から、使用していたと思われる金覆輪冬瓜絵巻の乗鞍・銀象の鐙と轡などが発見された。 (現在個人宅地となっています。) <白倉(しらくら)氏の出自> 白倉氏は、武蔵国の古き豪族「児玉党)の出自であり、上野国甘楽郡白倉に拠った戦国時代の武士で、関東管領「山内家上杉氏」の重鎮として四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)に数えられていた。 承久3年(1221年)承久の乱において討死した白倉成季(白倉三郎)から白倉氏を称し、足利氏に従い山内上杉氏の家臣とな
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2025年7月10日読了時間: 8分
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